パリのユネスコ本部に8年間勤務され、「終の住みか」は函館に・・・と決めて居られた竹内能忠先生。
函館に来られても「北大水産学部」「東海大海洋学部」での学究生活を続け、その間に、函館に日仏協 会を設立しようと言う大目標は、時のフランス大使館の文化参事官の示唆、更にフランス大使の名前 で正式な要請文も届き、ユネスコ会員としても、市民を説得する用意は充分出来上がっておりました。
もともと、昔からフランスと関係のある土地柄の函館であり、明治の初めからフランス料理を作って いる五島軒の若山徳次郎氏や、旭が岡の家という老人ホームの施設長をしていた、グロード神父と相 談をしたところ、あっと言う間に100名位の賛同者が集まり、1982年設立準備に入り、翌1983年5月、無事に創立のはこびになりました。勿論、初代会長は、竹内能忠先生であります。